みどりの風が爽やかに吹きぬけます。草木の新芽はぐんぐんと伸びます。これと同じエネルギーが私達の心の中でも体の中でも働いています。なんとありがたいことでしょう。自然界のこの美しさの中、今、令和の「米騒動」です。
主食の米が無い。高価である。古古古米である等・・・。新聞もテレビも、あれが悪いこれが正しい。こうあるべきだ。いや、それはダメ。一体どうすればいいのでしょうか?全て今だけ、自分だけ、お金だけ・・・の考え方です。昔の人は言いました。
「米一粒に神宿る。米一粒を粗末にすれば目がつぶれる」
そうだ!私達は米一粒に感謝も無く粗末にしたので「目」がつぶれ、食べられなくなり、先を見通すことが出来ないのだ。私は、生まれた里の「たんぼ」の景色を見に車で行きました。水田に田植機が十五センチ位の苗を植えて行きます。あらっ!苗は溺れそうに「ドンブラコドンブラコ・・・」しています。昔は苗を手に取り、三本指で持ち、グーッと押し込んだのになぁ・・・と思って帰りました。一週間後、あの苗はどうなったかしら?・・・と氣になって見に行きました。まぁ!何とびっくりしたことか!それぞれの苗はしっかりと足を地に着けて、シャン!として立っています。みどりの風を爽やかに受けています。八十八回、人の手間をかけて「米」になります。心配そうに見ている私に「しっかり根を張って黄金の稲穂をいっぱいつけますよ」・・・とOKサインを出してくれました。あっぱれ!天晴れ!
「お米さんありがとうございます」とお辞儀をしました。何事にも感謝のたりない私を心から反省しました。
箸とらば天地御代の恩恵(はしとらばあめつちみよのおんめぐみ)
父母や恩師の恩を忘れず。と、子どもの頃唱えていたことを思い出しました。